J-HOPE(ホソク)の学歴まとめ!高校・大学はどこ?

韓国アイドルの学歴まとめ

今回は大人気グループ・BTSのメンバーであるJ-HOPE(ホソク)についてまとめます。

J-HOPEの出身地はどこ?

光州広域市生まれ

J-HOPE(本名チョン・ホソク)は、1994年2月18日(30歳)に全羅道の光州(クァンジュ)広域市で生まれました。

全羅道光州広域市は、韓国の南西部に位置した大都市です。

K-POPアーティストを輩出している

全羅道光州広域市が排出している芸能人は、J-HOPEだけではありません。

K-POPアーティストとしては、東方神起のユンホやBIGBANGのメンバーだったV.Iが光州広域市の出身です。

また、2NE1のメンバーだったミンジも光州広域市を出身地としています。

J-HOPEは、V.Iやミンジと同じダンススクール(ジョイダンスアカデミー)に通っていました。

J-HOPEの家族構成は?

父親は高校教師

J-HOPEの父親は、高校で国語の教師をしています。

父親は、J-HOPEも通っていた高校で教鞭を執っていたのです。

J-HOPEは父親が教師ということもあり、授業中は一番前に座りしっかりと授業を聞いています。

そして父親は厳格であり、J-HOPEがダンサーやアイドルになることを反対していました。

とはいえ、父親はSUPER JUNIORのイトゥクと知り合いです。

父親がサウナで、イトゥクに「うちの息子も芸能人なんだけど」と言い話しかけたのでした。

その際に父親は、自身がJ-HOPEの父親であることを名乗っています。

さらに父親は、「息子も頑張って活動できるように、ずっと長く活動してほしい」ということをイトゥクに告げました。

母親はサポートしてくれた

母親は、J-HOPEの芸能活動をサポートしてくれました。

2016年リリースのBTSの2ndアルバム『WINGS』に、『MAMA』というJ-HOPEのソロ曲が収録されています。

曲中では母親の「もしもし?という声が入っていて、話題を集めました。

MAMA』の歌詞では、母親がJ-HOPEのダンス費用を工面するために出稼ぎに行ったことも書かれています。

姉は4歳年上

J-HOPEには、チョン・ジウという4歳年上の姉がいます。

姉は、J-HOPEと恋人同士に間違われるくらい美人な女性です。

2016年10月にソウルにおいてmejiwoo(ミジウ)というアパレルブランドを立ち上げました。

そして、このブランドを設立するために7年ほど欧米に留学しているのです。

また姉は、mejiwooのファッションモデルも務めています。

姉は2020年9月頃に結婚し、2021年5月に挙式をしています。

J-HOPEの出身大学はどこ?

グローバルサイバー大学へ入学

J-HOPEは、2013年3月にグローバルサイバー大学へと入学しました。

グローバルサイバー大学は2010年に韓国で開学した通信制の大学です。

4年制であり、世界で唯一脳教育を学ぶことができる大学でもあります。

入学するには、入試の代わりに学力適性検査が行われる点が特徴です。

グローバルサイバー大学のソウルキャンパスの住所は、ソウル市江南区狎鷗亭路32通り11です。

J-HOPEは、グローバルサイバー大学を2019年2月に卒業しました。

漢陽サイバー大学大学院に在学中

J-HOPEは、2019年3月に漢陽サイバー大学大学院に入学し、現在も在学中です。

学校法人・漢陽学園により2002年に設立された学校であり、Hanyang Cyber Universityの頭文字であるHYCUとも呼ばれます。

J-HOPEが学んでいるのは、経営大学院の広告メディアMBAです。

通信制のため、オンラインで授業を受けるシステムとなっています。

漢陽サイバー大学大学院は、ソウル城東区三成洞往十里220に所在しています。

J-HOPEの大学時代

アイドルデビューの決定

J-HOPEが大学生になった後に、BTSとしてのデビューが決まりました。

J-HOPEが練習生となってから3年後のことです。

デビューが決まりより一層頑張っていたJ-HOPEでしたが、デビュー目前でメンバーから外される危機に陥りました。

当初はJ-HOPEもデビューメンバーとなっていた模様ですが、デビューできないことになったのです。

デビューメンバーから外されたことで、J-HOPEは苦悩します。

デビューを諦めるつもりで、J-HOPEはメンバーに「(練習生を)辞める」と伝えました。

J-HOPEからの辞めるという報告を聞いたRMは、事務所側にJ-HOPEをデビューメンバーに入れてもらえるよう訴えに行ったのです。

それだけでなくBTSの末っ子・ジョングクが、J-HOPEがデビューメンバーから外されたことを悲しみ泣いてしまいました。

RMの事務所への説得やジョングクの涙が功を奏して、事務所側が折れJ-HOPEのデビューメンバー入りが決まっています。

そしてJ-HOPEは、大学1年生だった2013年6月13日に晴れてBTSとしてデビューしました。

BTS中心の生活

デビューしてからの大学時代は、BTSに主軸を置いた生活をしていました。

グループのダンス隊長として、BTSのダンスパフォーマンスの進歩に寄与しています。

J-HOPEはダンスについて高いプロ意識があり、メンバーに対しても厳しい口調になることもあります。

またJ-HOPEは、影のリーダーや中間管理職とも呼ばれている点が特徴です。

そしてダンスだけでなくJ-HOPEは歌やラップもこなすオールマイティーさを持っています。

J-HOPEの出身高校はどこ?

国際高等学校に入学

J-HOPEは、2010年3月に光州にある国際高等学校に入学しました。

国際高等学校の住所は、光州北区雪竹433です。

山吹色のアーチ状の門が設置されている点が特徴の学校です。

また、全南女子産業高校という女子高校と同じ敷地に建っています。

J-HOPEの高校時代

高校在学中にオーディションを受ける

J-HOPEは、高校生の頃だった2010年にBig Hitエンターテインメントのオーディションを受けました。

Big Hitエンターテインメントの関係者からスカウトされたことから、オーディションを受けることになったのです。

J-HOPEはオーディションに合格し、Big Hitエンターテインメントの練習生となりました。

なおこのオーディションでは、J-HOPEは休憩中でもカメラの前で踊り続けています。

その時間は2時間から3時間にも及んだのでした。

それを見た事務所関係者は、「この子は絶対いける!」と感じたことからJ-HOPEは合格したのです。

文化祭で人気者に

学校で元から人気のあったJ-HOPEは、文化祭でダンスを披露しました。

すると、そのダンスによりさらに注目を集めることになりました。

ラップラインでも特に歌も上手

J-HOPEは、元々はボーカルを担当していました。

しかし、BTSのヒップホップ路線からアイドル路線への変更もあり、ラッパーの練習生たちが辞めていってしまいました。

そして、J-JOPEがラップを担当することになったのです。

元から歌をやっていたことから、ラップラインの中でもJ-HOPEは歌も上手です。

J-HOPEの出身中学校はどこ?

日谷中学校へ入学

J-HOPEは、2007年3月に日谷(イルゴク)中学校に入学しました。

日谷中学校の住所は、光州北区雪竹路570です。

中学校は、2010年2月に卒業しています。

住宅街に立地

日谷中学校は、住宅街に立地しています。

住宅街に立地しており、道路を挟み四方をアパート群に囲まれている点が特徴です。

近くには、日谷第1近隣公園や日谷第2近隣公園もあります。

J-HOPEの中学校時代

ダンスの練習に没頭

J-HOPEは、中学生の頃からアンダーグラウンドでストリートダンサーとして活動をしていました。

地元の光州では有名であり、その名はソウルにまで届いていたのです。

当時のJ-HOPEは、スマイルホヤという名前で活動していました。

また、ブーガルーというラテン音楽の種類を特に練習しています。

ブーガルーは、ラテン音楽とアメリカのダーク音楽がミックスされたサウンドです。

JYPのオーディションを受けていた

J-HOPEは、Big Hitエンターテインメントに入る前の2009年に、JYPエンターテインメントのオーディションを受けています。

この点に関しては、J-HOPE自身もJYPエンターテインメントのオーディションを受けたことをファンクラブの会報にて(時期不明)語っています。

オーディションの際には人気賞を受賞しており、30万ウォンの賞金を獲得しました。

JYPエンターテインメントのオーディションを受けたことは確かですが、練習生として活動をしていたのかは不明です。

ダンスの練習のし過ぎで父親に怒られる

J-HOPEは、中学3年生の頃にダンスに夢中になるあまり帰りが明け方になってしまいました。

遅く帰宅すると、J-HOPEは父親から怒られてしまったのでした。

J-HOPEの幼少期

いたずらっ子だった

J-HOPEは子供の頃から走り回り遊ぶことが好きであり、いたずらっ子でした。

J-HOPEがダンスを始めたのは、体を動かすことが好きだったからです。

テニスをやっていた

小学生だったJ-HOPEは、テニスをやっていました。

教師が「テニスをしたい人?」と聞いた時に、たまたまJ-HOPEが体を伸ばしていたのです。

それが手を挙げているように見えたことから、テニス部に入ることになったのでした。

出場者数の少ない大会ですが、J-HOPEは銅メダルを獲得したこともあります。

ただ、実質的には3人中の3位だったことからJ-HOPEは泣いてしまったのです。

小学生の頃からダンスに興味を持つ

J-HOPEは子供の頃からダンスに関心を抱き、海外アーティストの映像を良く視聴していました。

そして、将来、自分もこうなりたいという思いを抱くようになります。

小学3年生の頃には、学校で朝のダンスをする際にJ-HOPEが作ったダンスを撮影し、周りの皆が真似をしていました。

ダンスを習い始める

J-HOPEは小学6年生の頃から、JOY DANCE&PLUG IN MUSIC ACADEMYでダンスを習い始めました。

JOY DANCE&PLUG IN MUSIC ACADEMYは、東方神起のユンホやBTSのジミンも通っていたスクールです。

このスクールでJ-HOPEは、ポッピンを踊っていました。

ポッピンとはストリートダンスであり、筋肉を弾くという言葉(POP)が名前の由来となっています。

幼少期より芸能人になることを決めていた

幼少期よりダンスが好きだったJ-HOPEは、早い段階から芸能人になると決めていました。

そのため、J-HOPEは当時から徹底した自己管理を行っています。

J-HOPEはBTSの中でもしっかりとしたメンバーですが、それは幼少期からの自己管理も影響している可能性があります。

以上、ホソクに関するまとめでした。

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